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【KoDoMoジーニアス/メカニズム】 2016.03.24stoc
例えば、アトリエの中に気になるもの、興味を覚えるものを発見する。触る、匂う…持つ。手のひらからの感覚刺激:温度、表層質感、重さが伝わる。「興味を覚える」と称される箇所ではあるが本人には言語化された認識がない為、顕在意識として捉えることができない。最初に手にしたものを基点にして他の物が加わり道具が導入され、興味と言うエンジンが回転を増していく。興味が興味を生み出しさらに次へと展開される。この繰り返しが、作者の表層の意図さえ裏切りながら意外性をタップリと含んだ造形物となっていく。頭の中では軽い稲妻が又はキラメキ又は、インスピレーションが頻繁に生み出されている。これらは、感覚よってなされているのであり、言語によるものではない。これを目撃した我々オトナが、驚きを覚えるのは、こどもの表現に言語化以前の豊潤を発見し圧倒されるからだろう。KoDoMoジーニアスは、ヒト全般が根源的に持つ圧倒的な能力を指している。こどものアトリエにはインスピレーションの稲妻が飛びまわっている。
インスピレーション:創造的思考にみられる現象。予想もなく,努力感もなく,突然になんらかの解決が与えられる主観的体験。inoue@comosol.jpブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より一部抜粋]
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【SEED/ダイナミズム】
カラダの奥に何かが潜む。暴れ狂う生命の発露!
それは、コドモもオトナ(せんせい養成講座風景より)も共通のシンパシー。
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【SEED/息を見る】
アトリエ太陽の子の表現は、現代絵画『アンフォルメル』の影響があると指摘されるが、コドモの表現を一度たりとも美術史の流れでとらえようとしたことはない。コドモは人間のプロトタイプであるとする我々の主張からするとむしろ原始表現に近い。ここにある表現は『鼻の穴』を見つめることから始めた。クスクスという笑から始まったとは言え、ちょうど,古代行者のイニシエイションに通じるものがあったように思える。
関連記事/FacebookPage 3月28日 投稿
【KoDoMoジーニアス/メカニズム】
例えば、アトリエの中に気になるもの、興味を覚えるものを発見する。触る、匂う…持つ。手のひらから温度、表面の質感、重さなどが伝わる。即ち、感覚刺激。「興味を覚える」と称される箇所ではあるが本人には言語化された認識がない為、意識表層で捉えることができない。
最初に手にしたものを中心にして他の物が加わり必要に応じて道具が導入され、興味と言うエンジンが回転して組み立てが始まる。組み立ては、新たな興味を生み次なるものへと展開される。このプロセスの繰り返しが、作者の表層の意識さえ裏切りながら意外性をタップリと含んだ造形物へと展開され、ある時点で収束を迎えて終了する。頭の中では軽い稲妻のような電流が又はキラメキ又は、インスピレーションが頻繁に生み出されている。これらは、感覚界において、感性によってなされているのであり、言語によるものではない。こどもの表現に我々オトナが、驚きを覚えるのは、言語化以前の豊潤に圧倒されるからだろう。KoDoMoジーニアスは本来的に持つヒトの能力の基点を指している。
我々のアトリエにはジーニアスがいっぱいです。インスピレーションの稲妻が飛びまわっています。
2016 04 22 掲載完了
【アトリエのせんせいになろう】
「せんせい」と呼ばれた途端に目の前の子に何かを教えようとする。これは「教育」というあなたの既成概念に過ぎない。
子どもはあなたの器量の大きさに応じてしか表現してくれない。あなたが既成概念を捨てて自由ににならないと子どもの自由な表現は生まれない。
アトリエ太陽の子
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